脳出血から1年を振り返って
ちょうど1年前の今日、私は脳出血を起こし、緊急手術を受けました。
あの日のことは、今でもはっきりとした輪郭と、ところどころ抜け落ちた記憶が混ざり合っています。
・発症までの夜と朝
2025年8月15日の夜から16日の朝にかけて、私は珍しく気持ちが落ち着かず、イライラして眠れずにいました。
朝方になっても眠れず、4時頃だったと思います。
頭痛を感じてリビングへ降り、頭痛薬を飲みました。
しかし痛みはなかなか治まらず、いつもとは違う右側の痛みでした。
以前から「右の血管が破裂するかもしれない」と言われていたこともあり、そのときふと、
「やばいかもしれない」
と直感的に思いました。
リビングから家族を呼び、「頭が痛い、やばいかも」と伝えた直後、ソファで倒れました。
そこからの記憶はありません。
・緊急搬送と手術まで
家族がすぐに救急車を呼び、私は近くの市民病院へ搬送されました。
CT検査の結果、「脳動静脈奇形破裂による脳出血」と診断され、そのまま緊急処置を受け、大学病院へ転院しました。
その後2日間は意識がなく、ICUにいたそうです。
すぐに手術ができる状況ではなかったため、脳内の出血が固まらないよう薬でコントロールしながら、専門医が揃うのを待つ時間が続きました。
そして2日後の2025年8月18日、約7時間に及ぶ手術が行われました。
カテーテルと開頭手術だった為、頭蓋骨を固定するチタンプレートが頭の中に入っているそうです。
・手術後に告げられたこと
手術後、後遺症が残る可能性について説明を受けました。
最初に言われていたのは、てんかんのリスクと左目の視力障害、目の上の凹みとこめかみの凹みの可能性でした。
結果として、左目が完全に見えなくなったわけではなく、両眼とも左下の視野が欠ける後遺症が残りました。
てんかんについては発症はなく、現在まで起きていません。
ただし自覚のない発作の可能性もあるため、予防薬は今も継続しています。
目の上の凹み、こめかみの凹みもなし
・退院後の生活と仕事
あっという間のようで長い1年でした。
振り返ると、脳出血を起こしたとは思えないほど、早い段階で日常に戻ろうとしていました。
入院中からすでに予定が詰まっており、退院後わずか2週間でビジュアル撮影に復帰しました。
しかも自分自身がモデルでした。
その1か月後には東京でのグループ展も控えており、立ち止まる余裕はほとんどありませんでした。
「成功させる」
その一心で動いていたように思います。
・1年間の体調の変化
この1年は、体調の波が大きい時間でもありました。
特に生理前や生理中は、めまいや頭痛、強い倦怠感で動けなくなることもありました。
感情の起伏も以前より大きくなり、自分でも戸惑うことがありました。
脳への負担なのか、手術の影響なのか、薬の副作用なのか、、、
ただ確かなのは、この1年が心身ともに大きく揺れた時間だったということです。
それでも最近は、少しずつ体調が安定してきている感覚があります。
ただ完全に元に戻ったわけではなく、疲れやすさや眠気、目の負担は今も残っています。
それでも、脳が少しずつ新しい状態に慣れてきているような感覚もあります。
・発症の背景と「もしも」のこと
発症した時期を振り返ると、7月の終わり頃からストレスが重なり、その日は一睡もできませんでした。
それが引き金だったのかもしれない。と思うこともあります。
ただ一方で、もし自宅ではなく外出中だったら、もし一人だったら——
そう考えると、今こうして生きていること自体が本当に偶然の積み重ねだったとも感じます。
家族がすぐそばにいたこと。
すぐに救急対応ができたこと。
そのすべてが、結果的に大きな分かれ道だったのかもしれません。
・定期検診
現在も定期検診を続けています。
今回出血した部位は再出血の可能性がゼロではなく、もう一つ動脈瘤もあるため、今後も経過観察が必要です。
もともと今回の脳動静脈奇形は「破裂確率は1%以下」と言われていました。
それでも実際には破裂しました。
人生は本当に予測できないものだと、改めて感じています。
・仕事と創作のこれから
この1年の間にも、東京でのグループ展など、いくつかの挑戦がありました。
人と何かを作ることは、楽しいだけではなく、すれ違いや難しさも伴います。
それでも私は、そうした経験も含めて続けてきました。
ROVAROVA立ち上げから13年。
その中で積み重ねてきた経験のすべてが、今の自分を形作っているのだと思います。
これからも、個展を含めて、自分の表現を少しずつ広げていきたいと思っています。
・生きることについて思うこと
一度、生死の境に立ったからこそ
「まだ生きろということなのかもしれない」
そんなふうに思いました。
そして今思うと、
予定が入っていたこと。
やらなければいけないことが、まだ残っていたこと。
待ってくれてる人がいること。
それがあったからこそ、どこかで「ここでは死ねない」と思ったのかもしれません。
まだ終われない理由があったから、踏みとどまれたのかもしれない。
そう考えると、私は一人で生き延びたというよりも、周りの人や環境に支えられて、生かされてきたのだと感じます。
みんなが、私をここに留めてくれていたのかもしれない。
まだやるべきことが残っているのかもしれない。
まだ誰かの力になれることがあるのかもしれない。
そう思うと、もう少し生きてみようと思えるのです。
好きなものを作り、好きな人と関わり、笑ったり悩んだりしながら生きていく。
これから先にどんな景色が待っているのかは分かりません。
それでも、少しずつ前へ進んでいけたらと思います。
脳出血から1年。
生かされたことに感謝しながら、これからも自分らしく歩いていきたいと思います。
ROVAROVA Tsukasa
